ツアー最終公演、仙台ゼビオアリーナ。
最後の最後のダブル・アンコールで、長渕は「乾杯」のイントロを弾き始めた。
今回のツアーで最初にして唯一、ここ、宮城の地で歌われた。
満場のオーディエンス、そして舞台袖のバンドメンバーとスタッフが、
あと僅かで訪れる別れを惜しむかのように、両手を大きく広げて左右に揺らす。
東北ならではの優しさに満ち溢れた空間が広がる。
それは、不思議な感覚だが、すごく合点のいく景色だった。
仙台、宮城、そして東北だから。
僕は、2011年の松島基地で見たことを重ね合わせていた。
「歌なんか歌っている場合じゃないんじゃないか」…そう突っ伏していた長渕はギター一本握りしめて、
まだ混乱の治まらない宮城に飛び込んだ。
そして、過酷な環境で頑張る若き自衛隊員たちに感謝と激励の意を込めて、
共に歌い、叫び、泣き、拳をあげた。そこで確かめたこと、掴んだことは、確かにあった。
一方で、その後走り続ければ走り続けるほどに感じた怒り、焦燥感、無力感は募るばかりだった。
それらの一切合財が今の長渕を突き動かすエネルギーになっている。
だからこそ長渕は、来年の8月、富士山麓に立つと腹を決めた。
そして、10万人動員、オールナイト・ライヴと、さらなる試練を自らに課すのだ。
富士の東側には自衛隊の広大な演習場がひろがっている。今にも雨が落ちてきそうな暗い曇天だ。
遠くに稲妻が光っている。祭りの候補地を探して走りまわっていた長渕の視界に入ってきたのは、
陸上自衛隊の演習で砲弾が富士山に着弾する様子だ。
それはまるで父、そして母のような富士のどてっぱらに撃ちこまれるかのようだ。
そこに居合わせた若い隊員に長渕が訊いた。「万が一戦争が起きたら、いち早く参戦したいかい?」と。
彼は戸惑うことなく、「いえ、戦争は起きてほしくありません」と答えた。そしてさらに続けた。
「広さが足りないので実際の射程距離では撃てません。
僕たちは有事に備えてそんな訓練しかできないんです」…矛盾だらけの構造。
国を守るという大切な任務を遂行するために行なう、決して完全ではない訓練。
一方、世界文化遺産である富士山に容赦なく撃ちこまれる砲弾。
いつ起こるとも知れない有事に備えて、ひたすら名峰・富士がえぐられていく。
長渕は「痛いなぁ」とつぶやいた。
車をぐるりとまわして訪れた西富士は、金色色の太陽が、青々とした草原を輝かせていた。
鳥の声、虫の音が穏やかに鳴る。まるで両の手を広げて「おいで」と語りかけるかのように、富士山が横たわっていた。
「ここから10万人で、歌の矢を富士へ放とう!」長渕が即断した。
最終日のこの日、僕は長渕の許しを得て、客席の真ん中で参戦することができた。
思いっきり拳を振り上げ、歌いまくり、叫んだ。でも一方で、今日で終わってしまうこと、
目の前にある瞬間が二度と訪れないことを噛みしめていた。
最後は涙が止まらないんじゃないか、でもそれはそれでいい、と思っていた。ところが…。
「Myself」を聴いている時にはそんなセンチメンタルな感傷は消えていた。
今見えているこの景色から、11か月後の富士の空へ向かう旅が始まるんだ、そんな決意に満ちてきたのだ。
長渕はリハーサルでスタッフに語りかけた。「終わりは始まりだ」と。そう、新たな旅が始まった。
10万人の仲間たちと見上げる富士の空は、いったいどんなだろうか?
ユニバーサル ミュージック 稲村新山